
東日本大地震からもう二ヶ月が経過しました。
地震の日から数日間の記憶は、この先忘れようもない程深く記憶に刻まれる事になりました。
あの日から、今日までを振り返っての色んな事を記してみます。
私(今までに無い文体で書いているので、一人称を何とするか迷ったりしてますが… 笑)は昭和53年生まれの32歳で、出身は宮城県仙台市の中心部です。14年前に上京しました。
子供の頃親しんでいた、宮城県の景色が大きな津波に飲まれていく光景には目を疑いました。
特に、地震発生直後に仙台空港が津波に飲まれていくニュースを見た時は、本当に自分は夢でも見ているのかと思いました。そんな感覚はワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む映像を初めて見た時以来だったように思います。
その後、次々に伝えられてくる震災の被害のニュースに大きなショックを受け、既に情報が飽和状態にあるところに福島第一原発事故のニュース。戦々恐々と状況の悪化を見つめ続けました。原発に対しての予備知識も乏しく、その得体の知れなさが恐怖を増大させました。眠っている間にも事態がとんでもない方向へ進むかもしれない、そう思うと安心して眠る事も出来ない。
情報は錯綜し、何を信じればいいか、確信を持ち切れない。心がすり減っていくような時間でした。
そんな中、3月13日にラリー・ハードがDOMMUNEでDJをするという情報が飛び込んできました。
憔悴した精神状態の中「こんな時に音楽なんて…」という気持ちも少しは起きたものの、こんな時にラリーがプレイするという事は見逃してはいけないものになるという直感が働き、チェックインしました。
すると、心が張りつめ、忘れていた、失われていた生きた感覚が少しづつ戻ってきました。音の中からたくさんの人々の表情と生命が立ち上がり、日々の小さな喜びと人と人のつながりで生きているのだという事を思い出させてくれました。そしてとても大きな生きる力を受け取りました。
この日の事は、生涯忘れる事は無いでしょう。
しかしその後も次々に飛び込んでくる、原発の思わしくない状況を知らせるニュース、インターネットから発せられる有名人から身近な友人までの様々な原発に対しての分析。中には良からぬ勢力による仕業、なんてものまでありました。
震災に対して、原発問題に対して、今自分は一体何が出来て、何を一番にすべきなのだろう?
多くの方々が同じ事に頭を悩ませた事でしょう。そして、その問いに対してのどのような行動を取るべきか、悩みながらも人々の間で様々なアクションが起きました。募金、援助物資の発送、ボランティア参加、デモ、署名、情報拡散、国や政治家や企業への意見、作品提供…。
本当に多くの日本人が、この震災により今まで考える事も無かった多くの事について、考え始めた事は確実でしょう。
しかし自分を含め、当たり前の事になっていた事に対して、もう少し考えればたどり着いていたかもしれない問題を通り過ぎてしまっていたのは何故なのでしょう?
どうしてもっと早く気付く事が出来なかったのでしょう?
もちろん、その中には誰かが知って欲しく無かった情報が、意図して隠されていたため、気付く事が容易では無かった情報もあるでしょう。しかしそれだけではなく、自らの意識に盲点が出来ていたため、気付けなかった情報もあったかもしれません。
では、その自らの盲点に気付くには、何が必要なのか。
それは、私に言える確かに一つだけ言える事は「愛」が必要だと言う事です。
決して妙な宗教に入ったり、誰かの思想に洗脳されてこれを言っているのではありません。自分なりに足りないかもわからない頭を精一杯ふりしぼって何週回って考えてもたどり着くのがこの事なのです。こんな気恥ずかしい言葉、使う事をためらいがちですが、震災以降、敢えて今こそこの言葉を強く発しなければいけないのではないかと感じています。
しかし「愛」とは何でしょうか?
「愛」について、いくつかの胸を打たれた言葉を紹介させていただきます。
『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』
(マザー・テレサ)
『人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。
今日我われは知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我われの魂の辱めなのだ』
(エリ・ヴィーゼル)
今回の震災で特に原発の問題について、これまでの自分の生き方について多くの人々が考えさせられる事になったと思います。そこで、初めて自らの「無関心」に気付いた方も居た事でしょう。
「無関心」だった領域があった事に気付いた事がきっかけで、「関心」を持てないでいた事がこの世界にはまだまだたくさんあるという事に気付いたのではないでしょうか?
しかし、どうすれば人はあらゆる無関心に気付く事が出来るのでしょう。
ここで私は思う事があります。人は好きなものに大きな関心を抱くのは当然の事です。
あなたは自分の人生が、自分が生きているこの世界が好きでしょうか?
人生が、この世界が好きでも無いのに、この世界に関心を持つ事が出来るはずが無いのではないか?と。
私は自分の人生が好きです。この世界が好きです。これまでの自分の幸運な人生に感謝しています。
少々の辛い記憶なんてどうでもいい程、たくさんの素晴らしい出会いに恵まれた人生に本当に感謝しています。私が素晴らしいと感じた事が、他の人にとっても素晴らしい事なのかどうかはわかりません。しかし感謝しています。
私は音楽や芸術によって素晴らしい体験をもたらされたてきました。
人はそれぞれ体験してきた事も、出来る事も違います。だから、私は自分の経験を通して、確かに信じる事をしていきたいと思っています。
私はDJを始めてから、早いもので約10年程になります。色んな事をやってみて長続きしなかった中で、これだけ続けている事は他にありません。このDJという行為の中から、いくつかの非常に重要な事を学ぶ事が出来ました。
私にとって非常に重要な名著『Last Night a DJ Saved My Life: The History of the Disc Jockey』では、DJが、ダンスがどれだけ政治的な意味を持つのか、繰り返し述べられています。
1940年代からラジオなどでブラックミュージックをプレイし続けた白人のDJ、アラン・フリードは、FBIに駆り立てられ、死に至った。その表向きの理由は、賄賂をもらって特定のレコードを流していたからだった。しかしアメリカ政府が、それほどまでに精力を傾けて彼を追い詰めたほんとうの理由は"退廃的な"ブラックミュージックを感化されやすい白人の子供たちに広めた事だったらしいです。
また1980~90年代にイギリスで広がったレイブカルチャーについて、このように触れています。
『このカルチャーはイギリスのポップ・カルチャーに存在した党派主義の一掃に大きく貢献した。だれもが人に優しくなり、若者たちは身構えた態度を捨てダンスフロアに行き、男と女は異質な正反対の存在ではなく友人として互いを受け入れるようになり、抑圧された国民として知られるイギリス人体質が大きく崩れていゆく。人種差別やホモ嫌悪が薄れ、フーリガンの行状すら和らいだとまで言われた。』
しかし94年に「クリミナル・ジャスティス・ビル」という『複数名で集まって反復するビートを持った音楽を流し、聴くことを禁止する法律』によって取り締まられ、レイブカルチャーは沈静化していきました。この法律は「集会の自由」という数世紀にわたる権利を覆したといいます。
音楽は人種も、性別も、地位も、地域も、年齢も越える事が出来ます。多くの壁を通り抜け、共感を起こす事の出来るものです。それは自らの実感を持って知っている事です。そしてダンスミュージックは、異国の音楽で言葉を理解出来ないものでも、身体をゆすってみれば直感的にその音楽の魅力をとても理解しやすいものです。一部の、人々が仲良く平和にしている事が不都合な人々にとっては非常に邪魔なものなのかもしれませんが。
私自身も、アラン・フリードが白人でありながらブラックミュージックをプレイしたように、DJでは人種や性別などの要らない壁は無視してプレイしたほうが、より良い内容に出来る事は実感を持って知っています。レイブカルチャーについても、あまりにユートピア的ないい事づくしな内容が嘘くさく読めた方もいらっしゃるかもわかりません。しかし私自身のダンスを通した経験で、このような事が起こりうる事が嘘では無いとわかっています。
私自身がDJを、ダンスを、音楽を通して、より多くの人々や存在を肯定的に受け入れられるようになった事は、間違い無い事実なのです。そして音楽を楽しむには、地位も名誉も多額の金銭も要らないのです。
震災後、会社を辞めたばかりの自分はそんなに多くの寄付も出来ていないし、社会的に発言力のある立場でも無いので大きく社会を動かす事も出来ません。自分以外の誰かの確かな力になるために、お金を稼ぐ仕事が出来る、そういう実質的な力を勉強して身に付けて成長したいと考えています。DJの第一の目的はお金ではありません。
しかし何より「無関心」が世界から消えていくよう、誰もが生まれてきた事に感謝し、この世界を愛せるよう、その為にもDJや音楽を絶やさぬように、この先いつまでも活動を続く事に、改めて確信を深めています。自分は不勉強で、まだ出来る事は他にもたくさんあるかもしれないです。しかしこの事は、少ないながらも自分が身を持って確かに伝えたい事なのです。
Last Night a DJ Saved My Life
この言葉は、私には本当の事でした。
そして、自分を含めた世界の人々の間に「愛」が伝わり、「無関心」が消えていく事を心の底から願っています。
私たちが日常の中で触れているものでも、目の前を通り過ぎていく当たり前のそれが、何故そこにあり、何処からきて何処へ行くのか、そんな事に少しづつでも考えを巡らせるように変化出来れば、世界は変わっていくかもしれません。お金の事、モノの事、人間の事、仕事の事、国家の事、まだまだ「関心」を持たずにいた事がたくさんあるのではないでしょうか?
私も夢想家でしょうか? そう思われても構いません。しかし望んでいる事は本当に世界が変わる事です。何か疑問でしたら、忌憚無い意見も歓迎します。そこからも前進のヒントをもらえるかもしれません。現在、私は世界の現状に大きな危機感を持っています。兎にも角にも、より"良く"なる事を願っています。
先日、ラフォーレ原宿で開かれた『ヘンリー・ダーガー』展に足を運び、筆舌に尽くし難いショックを受けました。彼は信心深いカソリック教徒である一方、世界では戦争が続き、いつまでも平和をもたらさない神に大きく憤っていた事を初めて知りました。その憤りが、あれほどの広大な世界の創造する力の源にあったのでしょう。
彼の死後のこの現代も戦争は絶えず続き、多くの理不尽に人々も憤り心を痛め続けています。
何が一番にすべきか、はっきりはわかりません。今はただ、出来るだけの事がしたい。
少々とっ散らかった内容になってしまいましたが、最後にこの言葉で締めさせていただきます。
『心に音楽をもたず、美しい楽の音の調和に
心を動かされることもない男は
とかく反逆や残虐な行動、略奪を行うもの』
(シェイクスピア)